『人間道楽』 7-16. 171215

7-16. 機上にて

機上にて、この半日に起った記憶をたどります。
今でも、空港内はごった返していることでしょう。

空港に入った時に、溢れかえる人の波が
異常な状況であることを直ぐに伝えてくれました。

表示板を見ると、欠航の文字がずらっと並んでいます。

案内カウンターに出来た人の列。
そこに吸い寄せられるように進んで行った時に、
後ろからママさん(僕の奥さん)の声がした。

振り返ると、子供が1人居ません。。。
イラッとして「あの子は、どこへ行ったんだ!」と声を荒げました。

ママさんに「パパ凄く早足だったよ!」
と言われてハッとしたのです。

僕の心は、無意識に未来の不安に捉われていました。
もう一度、表示板を見直すと、
まだ自分の乗る便は表示されていません。

まだ時間は、十分にあるという事です。
それなのに、不安なまま列に並んだりすると
僕の思考は、並んでいる時間に
不安な感情に沿ったストーリーを
組み立ててくれていた事でしょう。

それも何が、最悪な状況かを探しながら。。。。。

見当たらなかった子供が、ようやく追いついてきました。
ディズニーのお土産を小脇に抱えた
子供達の表情には、不安の影が過ります。

この子たちを、不安にさせてるのは空港の異常な状況じゃない。
明らかに僕の言動だ。

僕の不安な感情が、無意識にイライラの
言動を引き起こして、
それが、子供たちに伝染している。

子供が抱えている、ディズニーのお土産に
目が留まります。

そうだった。
今回は、家族で休暇を楽しむことが目的だったのに、
自分でぶち壊しに掛かっていたんだ。。。

少し、心が『今ここ』に戻ってきました。
もう一度、案内表示板を見直してみると
やはり、搭乗予定のANA37便は
表示もされていません。

心を落ち着かせて、
この隙に出来た時間を味方につけることにしよう。

時間を味方につけるって、一見難しそうだけど
『今ここ』に戻ってきた心には
それほど、難しいことではありません。

なんせ、二日間ディズニーで楽しんできたのですから。
ディズニーでは
夢や冒険、いろんなアトラクションが有ります。
絶叫マシンも、その一つ。

例えば、ジェットコースターに乗る時は
ドキドキするけど、ワクワクもしますよね。

身体と心が、その状況を楽しんでいるからです。

そして、子供たちの笑顔を取り戻すのには、
まだ間に合います。

この状況を、アトラクションとして
楽しんでしまおう♬
そう思えたのです。

時間を味方につけるなら、是非とも空間も味方につけたい。
どっかに、寛げる場所は無いかな。。。。
っと見回すと、レストラン街が目につきました。

「何か、食べようか?」
そう言うと、子供たちはニコッと笑って
頷いてくれました。

レストランに入って、メニューを開くと
現金なモノで、お腹が減っている事に氣付きます。

それぞれに注文を済ませて、現状をスマホで確認。
やっぱり、ホテルも新幹線も満杯だね。
そう言うと、スマホを置いて子供たちと
ディズニーでの思い出話しで盛り上がる。

盛り上がっていると、注文した盛そばが来たので
頂くことにしました。
あれっ、こんなにお腹減ってたのか?

一氣に、お蕎麦を食べ終わると
身体が満たされました。
身体が満たされると心も大きくなっています。

考えてみれば、最悪の状況だなんて思っていたけど
嵐を遮る、空調の効いた空港内で、
食べ物も、飲み物も十分にある。
家族も、そばに居てくれる。

無いものに、焦点を当てて焦っていたけど
その他のモノは、全部揃っている。

持っている搭乗券を見ながら、
ANA37便は、飛ぶんじゃないかな。

なんて、出発ロビーで目の当たりにした光景は
既に過去のモノになって、
自分の呑氣さがおかしく思えるほどでした。

先程からの、状況は何も変化していません。
ただ、自分の感情がガラッと入れ替わっただけなのです。

『人間道楽』 7-15. 171210

7-15. 嵐の中の空港

前回のお話の続きです。

嵐の中、乗った機体が緩やかに動き出し
滑走路の先端まで移動していきます。

機内アナウンスで
「天候の回復を待ち、離陸いたしますので
もう暫くお待ちください。」
機長の落ち着いた声が、乗客の不安を軽減します。

離陸までの滑走路で待機した時間が20分。
「上手くできてるな。結局37便の出発時刻だ。」
なんとなく、そんな事を思っていた。

機体は鈍く揺れたかと思うと、
加速をはじめ みるみる背中に
Gが加わっていくのを感じる。

車輪からの激しい振動が、
大きな翼が風を捉えた瞬間に、
主翼を持ち上げる揚力に切り替わったのを身体が感じた。

フワッとした頼りない感覚が全身を包みこんだかと
思うと機体は、機首を雨雲へ向けて
急な角度でどんどん駆け上がっていく。

まだ、飛行機が発明されていない頃は
空は、鳥や昆虫など。
ごく限られた生き物たちだけのモノでした。

今現在、航空力学に支えられ
揚力や、推進力の技術も進み
人間は、当たり前の様に大空を飛べるようになった。

その土台は自然の摂理が支えています。

物理学などの研究がそれを解明して、
技術が現実に飛べる機体を作り出し。
経済が万人が飛ぶことの出来る環境を作り出した。

そして最後は、現場の方々の判断。
こんな天候の中で、飛ぶことにどんなリスクがあるのか?

機体の強度や、性能。
リスクを上回るマージン。
理論立てられた現実の数字と経験値。

どれをとっても、不安を払拭するのに十分だった。
素人の僕が、口を挟む隙間もない。

急上昇中の機体の振動は激しい。
飛行機が、頑張ってるのが伝わってくる。
嵐を引き裂いて上昇を続ける飛行機。

窓からの鈍い光の中で、
時おり稲光がフラッシュする。
それが、雨雲に入り光を遮断したと思った
次の瞬間、眩いばかりの
神々しい光が窓から差し込んできました。

雨雲を抜けたんだ。

機体の振動も無くなり
エンジン音だけが機内にコダマしています。

水平に保たれた機内が
安堵の感情に満たされます。

僕は、強張っていた身体を解きほぐすかのように
その日の、わずか半日の出来事を
思い返していました。

この半日ほどの間に起った出来事には
多くの学びが隠されている事に
氣がつきます。

『人間道楽』 7-14. 171129

7-14.ちょっとブレイクタイム

ちょっと趣向を変えて、ある体験を基にした
お話を書いてみます。

豪雨や嵐の中で、
飛行機に乗られた事が有るでしょうか?

昼過ぎから雨は、嵐の様相を呈してきました。
空港では、飛行機がどんどん欠航に
なっていく。
自分の搭乗する飛行機も
欠航になるかもしれない。

空港のロビーは不安な人達で
ごった返しています。

航空会社の案内係の方々は、冷静な対応で
事務的に事実だけを伝え
お客さんに落ち着いてもらおうとしています。

これは僕が、実際に経験した事の お話しです。

空港は、お盆やお正月の時より混雑していました。
僕が手にしているのは、
羽田空港(東京)18時発、伊丹空港(大阪)行き
ANA 37便の搭乗券。

この日は朝から天候が悪く、
羽田空港は離発着が困難な状態となっていました。

都心部の宿を探しても、全て満室で泊まることも
出来ません。

新幹線も満席です。
この段階で飛行機に乗る以外に手立ては
見つかりません。

チケットカウンターには、
長蛇の列が出来ていて
不安な顔をした人や、
イライラを隠せない人達で
ごった返していました。

他の方々と僕の唯一の違いは、
旅行会社で取ってもらった
格安のチケットだったので
航空券では無く、乗る便や座席まで指定された
搭乗券を既に持っていた事ぐらいです。

航空券なら、払い戻しは容易に出来るでしょう。
でも、格安の搭乗券の場合はどうなるの?

いろいろ、考えても拉致が開きませんし、
自然に闘いを挑んでも、
結果は明らかです。
案内係の方に詰め寄ったところで
何も変わらないでしょう。。。

第一あんなに並んでまで
詰め寄るつもりもありません。

混雑している出発ロビーを後にして
空港でのんびりと、
お蕎麦をいただくことにしました。(笑)

焦ったり、イライラを人にぶつけることで、
何とかなるのだったら、そうしていたかも知れません。

でも、折角家族で来たディズニーバカンス♬
最後まで、楽しい氣分で居たいじゃないですか。

こんなに人が居るのに、ビックリするほど空いてるお蕎麦屋さん。
みんな、どうなるか不安やイライラで食事どころでは
無いんだな。

花のお江戸の、盛り蕎麦に舌鼓をうって
呑氣にお店を出たところへ、
たまたま通りかかったANAの制服を着た
案内係の方。

搭乗券を見せて自分の乗る便が、
欠航になったかどうか訊ねてみると、
ANA37便は、あえなく欠航。

でも、搭乗券だったので直ぐに
他の便へ振り替えできるか調べてくれました。

案内係さん曰く 37便より1時間遅い、
関西空港行に振り替えられるとの事。
なんてラッキー。

でも、伊丹空港に車が置いてあります。
大阪以外の方は、あまり意識されていないと思うのですが
関西国際空港と、大阪国際空港伊丹空港)の距離は、
60Km以上も有るんです。

この距離は、飛行機だと数分ですが陸路では、
一時間以上掛かってしまいます。

空港に置いてある車の事を伝えると、
もう一度、調べ直していただけました。
何と、37便より20分早い出発予定の伊丹空港行に
振り替えることが可能だという事。

さすがANAさん対応が丁寧で早い。
お礼を言って、帰阪チケットを受け取りました。

ただ、帰りのチケットを手にしても、
欠航理由が「出発地悪天候のため欠航」が変わるとは思えませんが、
相変わらず混雑している、
出発ロビーはイライラと不安な氣持ちの
他に、既に諦めムードも漂っていました。

そんなマイナス感情の坩堝に居たくは無かったので
早々に、ガラガラの搭乗口を通ることに。

いつも使う、カード会社のラウンジに入ると
そこもガラガラです。

ラウンジでジュースを飲みながら、
天候が回復せずに、欠航になったとしても
ここで一夜を過ごせるな。
という安心感が湧いてきました。

偉そうな事を、言うつもりは有りません。
僕もこれが、休暇で家族と一緒でなければ
同じように、列に並んで係員さんに
イライラをぶつけて、
何とかしてもらおうと交渉していた事でしょう。

でも、子供たちの頭の中は まだディズニーリゾート中。
楽しい氣分の時に、
親の心配した氣持ちで不安にさせたく無い。
という氣持ちの方が少しばかり強かっただけです。

思っていたよりすんなりと、搭乗案内が流れます。
子供に「どうして出発 出来る飛行機と、出来ない飛行機があるの?」
と尋ねられ、思い付きで
「だぶん、出発出来ない飛行機は羽田に来られてないんだよ。」
なんて会話をしながら、搭乗機へ。

飛行機の窓から外を眺めると、
思っていた以上に強い暴風雨。
これでは、飛べなくても仕方ないな。。

『人間道楽』 7-13. 171111

『人間道楽』 7-13. 20171111

7-13. 外に出来た壁

自分の周囲に囲いを作ると
何の不具合があるのでしょうか?

また、その囲いの原因は
なんでしょう?

そのメカニズムをごく簡単に
説明します。
理解し易い事を優先させるために
極端な言い回しをしますが、
予め、ご了承ください。

自分の周囲に出来てしまった
囲い、垣根や壁は
実は、自分の内面の壁が
外の世界に反映されているだけなのです。

自分の内面に出来ている壁は、
余程の事が無いと
氣付かない様に
潜在意識が護っているのです。

だから、顕在意識は外側に囲いを
作って彷徨い歩いたり、
内側の壁の外を徘徊することに
なっちゃいます。

自己否定をする必要が
なくなるくらいまで
心が成長していないと
それに氣付くことは有りません。

僕は、この内面に出来た壁を
土壌や、その土の表面として
表現しました。

ですので、内観するとは
心の内面に作ってしまった
壁を崩し自分を一つに統合する事が
目的となる訳です。

以前、自分の内側の壁の中に
もう一人の自分が隠れている
と書いたことがありましたが
この壁に閉じ込められた
もう一人の自分が
氣付いて欲しくて、
統合して欲しくて、
外の現実世界に投影させているのです。

もう一人の自分は
あなたの心の成長を信じて
ずっと待っています。

自分の幼かった頃を
思い出してみてください。
物心が付きかけた
感情を素直に表現できていた頃です。

その頃は、まだご両親が自分の世界の
大半を占めていました。
だから、あなたはご両親の意にそぐわない
感情を、バッテンを付けて閉じ込めちゃった
だけなのです。

極端に書くと、両親に認めて貰えない
感情は、自分ではナイことにしないと生きていけない。
そういう風に思い込みました。

そして、自分で造った壁の中に
その感情を閉じ込めたのです。

そして、顕在意識に残ったのは
「認めて欲しい」という、思い込み。

この思い込みは、多くの方が
持っています。

其処からが、問題なのですが。
この「認めて欲しい」という
承認欲求を持ちながら、
自分の一部に隠し通さなければ
いけない部分があるということが、
自分の心と身体に、歪を作ってしまいます。

そのまま大人に成長しても、
他人に、一部を隠したままの自分を
認めて貰おうと頑張る訳です。
他人に認めて貰えなければ
自分で自分を認められないと
考えてるのです。

これが、大きな思い込みです。
自分で、自分を認められてない人を
他人は、認めてくれません。

これが、逆になっちゃってる訳ですね。
然も、一部を隠したままだから
より話は複雑になってきます。
この段階では、利用したり利用されたり
概ね、人間扱いはされていないし、
自分でも人間扱いしていません。

他人に認めて貰いたいと思っている場合でも
最終的には、自分で自分を認めることが
目的です。

だから、発想を逆転して
まず、自分を認めるところから
始めるのが、自然の理となります。

だから、まず内観する必要があるのです。
ここで、過去の閉じ込められた
感情に意識を向けると、
あることが、分かってきます。

そのバッテンを付けてしまった
感情たちは、元々認める必要も
許す必要も無いことが分かってきます。

唯一の間違いが有るとすれば、
バッテンを付けるというジャッジを
してしまった事の方です。
そのジャッジも、
その当時は本当に必要だったのかも
しれません。

少なくとも、その事であなたを危険から
遠ざけてくれていたハズです。

閉じ込められていた感情たちは、
紛れもなくあなたの一部です。
ただ、思い出して受容するだけで
浄化する必要も無ければ、
ましてや怖がる必要もありません。

だから『自己受容』なのです。
一般的には、『自己肯定感』
や『自己効力感』を上げようと
いう話も聞かれますが、
これも、逆です。

土台となる『自己受容』を整えれば、
『自己肯定感』や『自己効力感』は
自ずと上がってきます。

『人間道楽』 7-12. 171106

7-12. 心の『間』

本来の人と人との関係には、
上下関係は必要ではありません。

心の中に、囲いを作ってしまった人達が、
この上下関係に捉われて
あらゆる違いをジャッジする対称と
みなします。

優劣、善悪、勝敗。。。。

それはそれで学びの段階なので、
悪い訳ではありません。

数字を理解せずに、
足し算や引き算が出来ないように。
文字を理解せずに、
文章が書けないように。

そこには、ただ順番が有るだけです。

この囲いや垣根 自体も
自己防衛本能と結びつき
今まであなたの心を、
護ってくれていたので
決して悪いものではありません。

ですが、玉子の殻と同じで
時期がくれば手放さないと
心がそれ以上
成長できなくなっちゃうのです。

この囲いをずっと持ち続けていると
人と人との間で、囲いは成長し続けて
垣根となり、やがて大きな壁となってしまいます。

壁として成長させてしまったのは
他でもない、あなたの思考です。

いつまでも壁に意識を向けていると
自己受容を上げることは
出来ません。
心が成長出来ないのです。

脱皮して成長していく
動物を思い出してみてください。
脱皮する脱ぐべき皮に
執着する必要は無いのです。

自分の心となる、
土壌と向き合えないのは、
恐怖心が有る場合が多いと思います。

自分の中に、眼を背けたくなるような
汚い感情が渦巻いている。
思い出したくないような
暗い過去の経験が其処にある。

訳も分からず閉じ込めて、
蓋をしてしまった事すら
忘れてしまった時の
感情や体験が
溢れ出してくる。

などなどの思いが、
心のブレーキとなって
自分の心と向き合う事を
先延ばしにしてしまいます。

ですが、そんなあなたの潜在意識は
事あるたびに、
あなたがあなた自身の心と
向き合える機会を現実に
作り出していきます。

それが自然の摂理だからです。
人の心は、自らの成長を望んでいます。

まずは、自分の作り出す
幻想の垣根を手放し
そのエネルギーで
自分自身を内観し整える様に
思考を切り替える必要があります。

次に、『間』を大切に扱う。

『間』とは、
「人間」、「空間」、「時間」などなど
あらゆるものとの関係性の中にできる
隙間のようなもの。

あるいは、
言葉と言葉の繋がりの中にも
『間』は出来てきます。

武道の世界で言われる
『間合い』の『間』です。
お笑いの世界などで
言われる『間が良い』とか
『間をとる』とか言われている
あの『間』の事です。

物質に意識を捉われていると
その対象にしか意識が向かずに
『間』は見え難いモノとなってしまいます。
エネルギーの観点に立って
始めて感じられるのが『間』です。

『間』を大切に扱うとは、
あらゆる関係性を
丁寧にするという事です。

そうすると『間』が
味方についてくれます。

簡単に言うと
時間との関係では、タイミングが整い出します。
空間との関係では、周囲の空氣が良くなります。
これらを使って、
人との関係性は良くなっていきます。

この『間』の中に、
エネルギーを増幅させる作用が
隠されているからです。

『人間道楽』 7-11. 171027

7-11.人間関係

生きていると必ず出来てくるのは
人間関係です。

自分の土地に
垣根や、囲いを作ってしまった心は、
常時その囲いの位置を確認して回る必要が
有ります。

前に巡回した時より、狭くなっていないか
自分の縄張りの中に、
何者かが忍び込んだ形跡はないか。

肉食動物が、常時縄張りの
見えない囲いを意識して
マーキングしてまわる様に

人も心の中で
ポーリング(一つ一つの端末に
聞いて回る方式 コンピューター用語)
を行うのです。

そうやって自分の土地を護っていくのです。
そして少しでもその土地を拡げようと
自分のエネルギーを使いきり、
疲れ果ててしまいます。

これが、物質に捉われた
自我の働きです。
この囲いや垣根は、自身を護るための
プライドと考えると分かり易いかもしれません。

自らの手で、耕された事の無い土壌には
草花は育ちませんので、
土地の中には、他人の眼を氣にした
モノ達で溢れかえっています。

どれ一つ、心という土壌に
根ざしたものはありません。

基礎が出来ていない建物と
同じです。
少しの強風で簡単に倒壊してしまいます。

目に見える物質というモノに、
心が支配されると
この様な営みを繰り返し行うことに
なります。

自己受容と、自己満足を同列に
扱ってしまうと足りないという心に捉われます。
そうすると、欠乏感に常に苛まれることになります。

『人間関係』とは、まさに人と人との
関わりから始まるものです。

まやかしや、幻想で出来た囲いを捨て去り
その事に奪われていた、エネルギーを
自分の土壌に関心を示すことに使ってみてください。

眼に見える土地の上の事に捉われずに、
土壌そのものに意識を向ける様に
切り替えるだけなのです。

物質世界から、エネルギー世界への
視点の切り替えです。

一度も、手を入れた事の無い土壌は
硬くて冷たく見えるかも知れません。

土の中から、思い出したくない過去の
感情が湧き上がって来るかもしれません。

でも、眼を反らさないで。

そこには、本来のあなたが隠れています。

まず、手を触れて自分の心という
土壌と語り合ってみてください。
自分の土壌と向き合ってみてください。

土の状態を肌で感じてみてください。
まず自分自身との『人間関係』を
取り戻すことから
全ては始まります。

『人間道楽』 7-10. 171015

『人間道楽』 7-10. 20171015

7-10.人間の器

毎日、あなたが丹精込めて
整えた土地は、紛れもなくあなたの土地です。

ですが、同時にあなたに耕し方などを
教えてくれた方の土地でもある訳です。

そして、あなたに耕し方などの
教えを乞いに来てくれた方の土地でも
あるのです。

勿論、自分の土地なので
誰も手出しは出来ません。
一から十まで自分一人で
整えたのですから。

ですが、同時に自分一人の
土地では無いのです。

それまでの過程で、
あなたと関わってきてくれた
多くの人々の笑顔が観えていますか。

例えば、自分の土地に蒔いた種が
リンゴの木になり
始めて小さなリンゴの実が
育ったとします。

あなたは嬉しくて堪らない。
そんな時にあなたは、
どんな行動をとるでしょうか?

まだ、初めてできた実なので
見た目も貧祖です。
味も熟成されておらず
酸っぱいに違いありません。

こんな時に、僕なら真っ先に
土の耕し方を教えてくれた方の所へ、
土地の中にあった石の扱い方を
教えてくださった方の所へ、
その実を持って行きます。

「在り方」を教えてくれた方は、
必ず、あなたに共鳴して
同じように喜んでくれます。

その見た目が貧祖な果実が、
どれほどの努力の末に出来た果実か
教えてくれた方は、
ちゃんと知っているからです。

そして、自分に教えを乞いに
来てくれた方の所にも
その実を持って行きます。

そのまだ酸っぱい実は、
無限の可能性を秘めている事を
教えを乞いに来てくれた方は
ちゃんと知っているからです。
あなたに、共鳴して一緒に喜んでくれます。

同じ道筋に居る方。
同じ志を持っている方は
引き寄せあい、共鳴してくれます。

あなた一人の歓びは、
同調して共感を産み。
共鳴して大きなうねりとなって
周囲の大地の隅々まで
喜びの波が行き渡ります。

こうやって、自分の土地はどんどん
拡がりをみせていきます。

『人間の器』が大きくなるとは、
この様な事だと僕は解釈しています。

『人』とは弱い生物です。
ですが、それは人と人との間に
自分で造ってしまった垣根が
有るからです。

『人間』とは他者からの
叡智を活かして強く生きられるものです。
『人』では背負えないモノを
『人間』は簡単に背負うことが
出来ます。

自分と他人を比べると多くの
『違い』が有ります。
それは『個性』です。

人と人との間に垣根を
造ってしまった人は
『人間』につけるべき『間』というものを
この『違い』に付けてしまいます。
だから『間違い』を探してしまうのです。

相手の方が『間違っている』
だから自分は正しい。
『自分は、間違っている』。。。

垣根を壊して、
ジャッジする心を手放してみてください。

そこには、単なる個性である
『違い』が観えてくるだけなのです。
『違い』は、価値を生み出し、
多くの可能性を育ててくれます。