『人間道楽』 4-8. 170108

4-8 あるがままということ

 

幼児のやる氣は、急にやってきます。

 

えっ!このタイミングで。。。。?

 

ていう時に、訪れます。

 

例えば、昨日まで着させて貰っていた

洋服を、突然自分で着ると言い出します。

 

「じぶんでやる」

といって、お母さんの手を

払いのけます。

 

幼子は、周囲の人の反応を

観ながら自分とは

どういうモノかを

形作っていきます。

 

だから、この様な事柄が

凄く大切になるのです。

 

そしてこのタイミングに

出逢えるのは、

子に始終関心を持っていなければ

出逢えません。

 

だから、こんな時の事を

思い出したり、イメージ

したりしてみてください。

 

 

服に袖を通して

まだ、おぼつか無い指先で

ボタンを嵌めようと

一生懸命

やり始めます。

 

当然、親はできます。

 

だから、手を貸したいという

氣持ちをグッと堪えて

 

見守りますね。

 

自分でどこまで出来るのか?

本人が納得できるまで

待つのです。

 

そして、「できたー」と言った時

ボタン穴が一つズレていたら

どう対応するでしょうか。

 

     「まだ出来ないでしょ

忙しいんだから、最初からママに任せなさい。」

と取り上げて、親がやってしまう。

 

     「ホラー、穴がズレているじゃないの、

もっかいやり直してごらん。」

と出来ていない所を、もう一度やり直しさせる。

 

     「上手に出来たねー。」

と出来た部分を褒めて、

その時はそのままにしておく。

 

といった感じが、一般的ではないでしょうか?

 

それぞれの、子の受け止め方を

想像してみましょう。

     は、やっぱり自分には出来ないんだ。。

     は、今の自分には上手くできない。。

     は、自分で出来るし、出来たことを褒めて貰って嬉しい。

 

こういった遣り取りが、

子に自分というものを形作る機会を

与える事となります。

 

大小の違いはあれ、

どの行為も依存心を育てていることに

お氣づきでしょうか?

まだ、①と②は分かり易いと思います。

親に、自分のダメな部分をジャッジ

されているからです。

 

では、③は出来たことで褒めています。

褒められると嬉しいものですが

ここでも、条件をつけてジャッジして

しまっています。

 

出来たから、褒める。

 

逆を考えると、出来ないときは

褒められない。

 

まだ、赤ちゃんだった時の

事を考えてみてください。

 

首が座っとき。

寝返りがうてたとき。

ハイハイが出来たとき。

立てたとき。

言葉をしゃべったとき。

 

手放しで自分のことの様に

ただ喜んだのではないでしょうか?

 

条件をつけたり、ジャッジすることは

日常的に行われることですが、

幼い子には、大きな影響を与えます。

 

褒めるという事は、

エネルギー的にみれば

子にエネルギーを与えています。

 

もちろん褒めるという行為が

悪いといっているのでは

ありません。

 

褒められるために

行動を起こすように

なると

 

自分を見失い易く

なってしまうという事です。

 

幼児になると、承認欲求が出てきます。

あるがままの自分を自分自身で

認めたいという事です。

 

そのために、まず身近な親に

あるがままを認めて貰いたいのです。

 

承認欲求を満たすために

条件をつけてしまうと

 

ある条件をクリアした時にしか

自分を認められなくなります。

 

これは、

あるがままという事と

違いますね。

 

ただ自分の事の様に

喜ぶ。

 

難しく考える必要はありません。

だって、赤ちゃんの時には、

出来ていましたから。

 

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