『人間道楽』7-8. 170930

7-8.心の柔軟性

僕の自己受容への認識が
ガラッと変わった時のお話しをします。

勿論それが、全てでも正解でもなく
それぞれ、皆さんに合った
イメージや考え方が有って
良いと思います。
そのことを、踏まえた上で
こんな風にも考えられるんだと
ご認識いただければ
嬉しく思います。

「今の自分に100点満点で点数を
付けるとしたら何点ですか?」
との質問には、言葉の魔法が隠されています。

僕が、最初に感じたイメージはこうです。
透明なコップに
透明なお水が、注がれたイメージでした。

「自分に」と言う言葉から
自分という器をイメージして、
「100点満点で」と言う言葉から
その器に目盛りをつけました。
「何点ですか」との言葉で
そこに水を注いだわけです。

ですが、とみ太郎先生こと山富浩司先生に
教えていただいた一言で、
この僕のイメージは一変しました。

『自己受容とは、あなたの土壌です。
そして、そこに植えるノウハウというタネは
皆さん沢山、お持ちなのです。』

「そうか自己受容とは大地だ」
って考えが変わった途端に
頭の中のイメージが変わったのです。

「大地」というインスピレーションを得て、
遥か地平線まで、見渡す限りの大地という
イメージが出来上がりました。
そして、今までのコップというイメージが
物質という固定概念に縛られていたことに
氣付きました。

頭の中で、古典物理学から、
量子物理学へ移行した瞬間です。

一番近いイメージで言語化すると

荒れ果てた大地と、肥沃な土地が
思い浮かびました。

荒れ果てた大地は、かつての自分です。

自分に内観せずに、
周囲に責任を押し付けていた
かつての自分。

折角、自分の土地を与えて貰っても
整える術を知らない。

だから、地面は乾き
表面はコンクリートの様に
カチカチに固まっていました。

恵みの雨が降っても
雨水は一滴も地中には沁み込まずに
全て弾かれて、そのまま流れ去ってしまう。

太陽の光は、
乾いた土地から更に水分を奪い
土の表面は、荒れ果てる一方。

そうです、豊かな自然の恵みにさえ
憤慨し、怒りが込み上げてきていました。

そんな、思いの時に
周囲の人を見渡すと、
同じように荒れた土地に
自分の土地という区画だけを印して
そこを護ろうとしている人が多く目につきます。

ですが、肥沃な土壌で実りを収穫している
人もいます。

荒れ果てた土地の持ち主は、
その他人の果実を貰う事や
奪い取る方法ばかり
考えを巡らせていたような
氣さえします。

ある時、自分の土地に向き合ってみました。
素手で、すさんだ土を掘ってみたのです。

その硬くて手なんて 1mmも入れる事が
出来ないと思い込んでいた土に、
手を突っ込むと
まるで何年も待ち焦がれていたかのように
スッと奥まで迎え入れてくれたのです。

面白い様に土をかき上げることが出来ます。
どんどん掘っていると
今度は、大きな石が出てきました。
これは、素手では無理だ。。。。

そんな思いで途方に暮れている時
果実を収穫している人の事を
思い出し、観察しに行ってみました。

傍らで、じっと眺めてみます。
自分の土地だという区画も決めずに
整えられる範囲を全て整えている
その人の土地は、いろんな草花が
育っています。

その草花に導かれる様に、
いろんな昆虫や、動物たちも
集まってきています。

この人の土地には、
元々 大きな石なんて無かったんだ。
そう思うと、また怒りが込み上げてきます。
でも、ただ怒っていても
自分の土地の石は、無くなってくれません。

暫く見ていると
不思議と、他の人たちが
入れ代わり立ち代わり
その人の元へ訪れます。

何かを聞きに来ているようです。

意を決してオズオズと、
その人に石は無かったのかと
聞きに行ってみました。
そうすると、
「自分の土地に石が無い人なんて
ごく一握りの人だよ。」
と言って満面の笑顔で
笑っています。

そして、丁寧に石の扱い方まで教えてくれたのです。

まず、今の自分と向き合う事。(内観する)
そして、土壌を自分なりに耕してみる。(行動する)
それで、行き詰った時には出来ている
人に聞いてみる。(人との出逢い)

この繰り返しで
心は、柔軟性を取り戻します。

内観ばかり、していても思考は堂々巡り
をするだけです。
内観しても行動が伴わなければ、
何も変わってきません。

自ら行動しなければ、
教えて貰っても、心に沁み渡ってきません。

今は、こう思います。
この世界で、
自分の土地を与えられただけでも
凄く恵まれているのだと。

そして、内観して自分と向き合い
何らかの行動に移している人。
自分を諦めずに、この過程の中に居る人は
全ての人が、自己受容が満点で良いのでは無いかと。