『人間道楽』 6-10. 170629

6-10. 本来の自分を取り戻す

あなたの中には、
あなたの見たこともない
ビックリする様な
本来の、あなたが隠れています。

人の脳で作り出された自我は、

あなたが、あなたらしさを取り戻す
鍵を握っています。

本来のあなたの機能を
取り出す術を知っているのです。

ただ、その前にする必要が
有ることがあります。

手順というものが存在するのです。

あなたが、あなた自身を
信頼出来てない段階で
本来のあなたを取り戻すことは
出来ません。

自我を自分の防御のために
使っているうちは、
本来の自分とは出逢えないのです。

自分自身の身体に感謝して、
ありのままのあなたで良いのだと
心から思えた時に、
自分との信頼関係を取り戻し

自我はあなた自身を防御するという
重い任から解かれます。

例えるなら、血管内に溜まった
コレステロールの様なモノです。

元々、あなたは潜在意識と
自由にやり取りをしていました。

潜在意識とのパイプは既に
存在しているのです。

顕在意識の自我が、育まれていく過程で
そのパイプに出来てしまった
心のキズに
蓋をするかの様に、
カサブタが出来て
潜在意識との清らかな流れを
滞らせたり、
目詰まりを起こしたりしてしまったのです。

カサブタは、
自分を護ろうとすればするほど
大きくなります。

それは、まるで雨の日や曇り空の下では
太陽の光が届きにくいかのように。

その事に氣付いたら
ちゃんと心のキズに
向き合ってみてください。

そして、今まで心の痛みから護ってくれた
カサブタを感謝と共に手放してみましょう。

そ~です。
カサブタを剥がす。
考えただけでも、痛そうですよね。(笑)

だから多くの方が、剥がそうとしないのです。

でも、ひざっ小僧とかを
よく擦りむいていた
子供時代を思い出してください。

キズは身体の自然治癒力で治り
役割を果たしたカサブタ
自然に剥がれていきました。

中には、自分で剥がしている子を
見かけませんでしたか?

えっ!
ご自分がやってた?(笑)

そうなんです。

心に出来たカサブタは、
あなた自身が剥がす必要が有りますが、
その下にあったキズは痛みが消え去り
あなたが、氣付いてくれることを
ひたすら、待ち続けているのです。

『人間道楽』 6-9. 170609

6-9. ぽっかり空いた心の空間

少し変わった表現で
書いてみます。

もう一人の自分を
壁の中に閉じ込めてしまった
人は、

意識的には、
その城壁の中が
見えなくなっています。

心に大きな穴が
空いている様な
錯覚に捉われます。

心の穴は、
事あるごとに
何かが、足りないと
訴えかけてきます。

それは、
不安や苛立ちになって
顕在意識に上がってきます。

捕らわれたもう一人のあなたが、
氣付いて欲しくて
あなた自身に信号を
送ってくれているのです。

ぽっかり空いた空間を
埋めようと多くの人が、
モノや地位、名誉、業績などといった
この世に存在する幻想で
その穴を埋めようとするのです。

外の世界に、心の穴を満たしてくれるモノは
ありません。

恐怖心から、それらを得ると
得た時には、
一時的に大きな喜びが生まれるかも
知れませんが、

元々が幻想なので、
更に大きな幻想を追いかけてしまいます。

まだ足りない。。。
もっと必要だ。

自分には、もっと大きな成果が
必要だ。

これが、欠乏感です。

今周りにある人やモノは、
当たり前で
自分には、足りない部分がある。

恐怖心から、
この様に思い込みが行き過ぎると
どんどん、頑張って外側に
心を満たしてくれるモノを
追いかけてしまいます。

はっきり言います。
そんなモノは、
幻想です。

だから、一時も心が寛げる
ゆとりが無いのです。

自分に、
隠さなければならない部分が
あるので、
人との間に垣根を作ってしまいます。

自分の内側に壁が出来ている人は、
鏡の法則の様に
外の世界にも壁を
築きやすいのです。

人から認められたい。
羨ましがられたい。。
少しでも優位な立場になって
特別な存在になろうとします。

そして、心の穴を人に
知られたくなくて
虚勢を張ります。
まやかしのプライドが高くなります。

自分より、優位な位置にいる人を
下に見ようと努力します。

折角、この世に生を受けたのに
なにか、哀しいですね。
これも、学びや経験であることも
事実ですが、
心の歪は、身体の歪みに繋がり
健康も蝕んでいってしまいます。

心に空いた大きな穴を、
よーく観てみてください。

そこには、何も無い訳では
ありません。

もう一人の、取り残された
あなたが、じっとあなた自身が
氣付いてくれることを
待ち望んでいるのです。

この辺の事は、
多くの物語を産んだと
僕は、思っています。

「白雪姫」「美女と野獣
「眠れる森の美女」
「シンデレラ」
みにくいアヒルの子」。。。
挙げていくとキリがないですね。

勿論、エスコート役の事柄や
人との出逢いは必要ですが、
あなたの心を解き放つのは
最終的には
あなたにしか出来ないのです。

『人間道楽』 6-8. 170604

6-8. 幼い自分

自分の一部を、
閉じ込めてしまった人は、
どう考えて、どういう行動を
とるのでしょうか?

幼いかったころの自分。

その当時は、自分の感情を持て余し
やむを得ず潜在意識の
壁の中に閉じ込めてしまった

もう一人の自分

幼かったあなたには、
しかたの無いことだったのです。

あなたには、
そんな自分を理論的に
説明する事は出来ませんでした。

好奇心をそのまま
衝動的に行動に移してしまう事が
子供の本質だと
誰も庇ってくれませんでした。

親に理解されない自分に
自分自身で「×」のラベルを付けて

無かったことにしてしまった
様なものなのです。。。

心の根底には、
親に見放されてしまうという
恐怖感が横たわっています。

その1次的な感情の恐怖心は、
2次的な感情の
「怒り」や「不安」などを
産み出してしまいます。

「怒り」は、その恐怖を
外を攻撃することによって
解消しようとすること。

「不安」は、恐怖を
自分を攻撃することによって
解消しようとしていること。
どちらも出所は同じ
恐怖心から来ています。

つまるところ、
いじめっ子も
いじめられっ子
も本質は同じと言う事なのです。

だから
いじめっ子も、
環境によって簡単に
いじめられっ子に
変わってしまうのです。

これは、親から受け取った
OS(オペレーティングシステム
である基本ソフトの
初期不良。。

初期ソフトのバグ(小さな虫のことで、
ここではプログラムの誤りをさします)
と言えるものです。

プログラムは、人が作るがゆえに
よほど小規模なモノでない限り、
バグの全くないプログラムを
作ることは不可能なのです。

同じように、
身体を持った人にも
恐怖心を全く無くすことは
不可能です。

と言うよりも、
恐怖心は必要な感情です。
ただそれが、いき過ぎたり
ずっと、抱えてしまう事で
執着となって
心を蝕んでしまうのが、
問題になってきます。

心の羅針盤に従うとは、
この執着心を解放す事

そして、
恐怖心を最小限のものにして
行動指針を
潜在意識、自然の摂理
宇宙の法則、愛
に従わせる事なのです。

さあ、意識してください。
あなたがの今やっている事は、
「恐怖心」からきた衝動ですか?
それとも「愛」に裏打ちされた衝動ですか?

因みに、「ありのままの自分で良い」
と言う言葉を聞いて。
「恐怖心」から行動してしまうと
全く逆方向の結果になってしまいます。

「ありのままの自分で良い」
というのは、「愛」に裏打ちされた衝動が
あって、はじめて意味を成します。

その感情は、常に心が
「ワクワク」している状態なのです。

『人間道楽』 6-7. 170526

6-7. 心の声

 

心の中から、

湧き上がる

不安な思いや

イライラした落ち着かない氣持ち。。。

 

実は、

この基となっているのは

あなたが、分離したもう一人の

あなた自身です。

 

 

幼かったころに

その時の自分では、

抱えきれないと思ってしまった

もう一人のあなた。

 

幼かったころに

そんな自分では、

愛されないと思い込んで

無かったことにしてしまった

もう一人のあなた。

 

 

その分離してしまった

もう一人のあなた自身が

思い出して欲しくて

 

顕在意識へ訴えかけてきているのです。

 

 

では、

少しでも幼かったころの事を

思い出してみてください。

 

分かり易くするために、

少し極端な例で説明します。

 

 

身体が、思うように動くようになり

自然に触れることが、

楽しくって仕方がなかった

幼いころのあなた。。

 

 

そんなあなたは、

好奇心に突き動かされて

急に走り出して そのモノに

近づこうとしました。

 

それは、綺麗な可愛い花

だったかもしれません。

 

まったりと、

日向に寛ぐ猫だったかもしれません。

 

葉っぱを、モリモリ食べている

小っちゃな虫だったかもしれません。

 

危険を知らない幼いあなたには、

他のモノは目に入ってきません。

 

好奇心が衝動的に

そのまま行動になります。

 

 

そばに居た、お母さんがグイっと

あなたの手を引っ張って

顔を、あなたに近づけます。。。。

 

お母さんは、怒っているようです。

 

 

あなたに対して、

何かを一生懸命に伝えようと

していますが、

 

怒っている感情の方に

意識が向いているあなたには、

言葉が届きません。。。。

 

 

あなたは、

まだ完成していない幼い脳で

考えます。

 

お母さんは、私の事を嫌いなんだ。。。

 

でも、それは恐ろしくて

受け入れられません。。。

 

そうだ、好奇心に

突き動かされた時に、

お母さんは怒った。

 

わたしの好奇心は、

悪いモノなんだ。

 

まだ幼い脳は、

そんな風にジャッジしてしまい。

 

あなた自身の一部である

好奇心自体を封印してしまうのです。

 

同時に、あなたの心の中で

いけないあなたを

分離して、

その部分は、自分ではナイことにしてしまいます。

 

これが、心の中のもう一人のあなたです。

 

 

これを、お母さん側の視点で観てみましょう。

 

急に走り出そうとした我が子に、

車が近づいてきました。

 

間一髪で、あなたを引き留めることが

出来たお母さんは、

 

急に、あなたが自分の元から

居なくなってしまう事が

現実味を帯びてしまいます。

 

その恐怖心から、

我が子に、危険な行為を

してはダメだと訴えます。

 

でも、いくら一生懸命言葉にしても

肝心なところが、

あなたには伝わっていない事は

あなたの態度から明白です。

 

 

そして、お母さんの頭には

更に恐怖が湧き上がってくるのです。

 

このままでは、この子は

また飛び出して危険な行動をとってしまう。。。。

 

そして、怒りの感情を使って

あなたの行動を押さえ込もうと

してしまうのです。

 

 

お母さんは、あなたの危険な行動を

やめて欲しいだけ。。

 

でも、あなたの中では

自分を分離させて

嫌われる部分を閉じ込めてしまいます。

 

 

そうです。

冷静に観てみれば、

ただの勘違いです。

 

ですが、

基本的なソフトを構築中の

あなたの心には、

重大な出来事として

インプットされてしまいます。

 

自分の心の中に、

もう一人の自分を作ってしまうのです。

 

内面に出来た分離意識は、

思春期に一部は、解放されますが

大人になっても

心のキズとなって残っています。

 

自分の中の嫌いな部分として。

 

 

ですが、

基本のソフトに

バージョンアップをする事は

何時でも可能なのです。

 

 

良く考えてみてください。

自分のことを愛するのに、

誰かの許可が必要でしょうか?

 

自分のことを好きになるのに、

何か資格を持ってる必要があるのでしょうか?

 

自分のことを大好きになるのに、

何か特別な条件付けが必要でしょうか???

 

周りのノイズに、

惑わされずにシッカリ自分と向き合うと、

忘れてしまっていた、

幼いあなたがが出てきます♬

 

あとは、シッカリそれを受け容れるだけなのです。

 

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『人間道楽』 6-6. 170523

 

6-6. 心のエネルギーは有限ですか?

 

それでは、量子ちゃんに

再び登場して貰って

 

エネルギーを用いて、

この

羅針盤へ向かっている時」と

羅針盤を無視している時」

の状況を解説してみます。

 

潜在意識からは

常に浄化された新鮮な

エネルギーが

無限に溢れてきています。

 

羅針盤の指し示す

方向へ向かっている時には

そのエネルギーを直接

受け取ることが

可能なのです。

 

そうです。

無限で新鮮な溢れ出すエネルギーは

自分の潜在意識。

 

つまり、自分の内側から

受け取ることが可能なのです。

 

 

ですが、羅針盤を壊してしまったり

羅針盤を無視した場合は、

新鮮なエネルギーを受け取ることが

出来ません。

 

この場合、エネルギーは

有限なモノと思い込んでしまうのです。

 

 

即ち、

エネルギーは間接的に

受け取るものだと

思い込んでいるのです。

 

心のエネルギーは、

人から与えられるか

奪い取るものだと思い込んでしまうのです。

 

心のエネルギーが有限であると考えてしまうと

いろんな弊害が起こってしまいます。

その言動は、

他人のエネルギーを奪い取ったり、

他人のエネルギーを搾取する行為を行います。

 

一見、異なる様に見えますが、

実はどちらも、同じ思い込みが原因です。

 

他人のエネルギーを奪い取る人は、

分かり易いかと思います。

 

恐怖を基にした怒りの表現や、

相手を不安な氣持ちにさせて、

その方のエネルギーを奪い取っていくのです。

 

他人のエネルギーを搾取する人は

常に自分が、被害者である必要が有ります。

 

同情や、憐みのエネルギーを

搾取していくのです。

 

人によっては、両方を使い分けて

自分のエネルギーを増やそうと

している方も見受けられます。

 

エネルギーが有限だという思い込みから、

澱んだエネルギーでも

奪いとったり、搾取したりするのです。

 

このメカニズムは、

驚くほど簡単です。

 

幼少期に受けた

心のキズが原因なのです。

 

自分の世界の殆どが

親であったころに

様々な理由で、

心にキズを負ってしまいます。

 

そのキズは、

自分でも許しがたいモノとなります。

 

何故なら、それを持っている自分を

他人に知られると、

 

本当の自分を見せてしまうと

自分は全ての人から見捨てられると

いう恐怖から来ています。

 

幼少期の親との繋がりは、

それ程、繊細で重要なものだと

ご理解ください。

 

自我の分離意識は、

この事で、

自分の内面にも 分離意識を

構築してしまいます。

 

ありのままの自分を愛するという事は、

内面の分離意識を解き。

自分そのものを、受け容れるという事です。

 

自分の中の、分離意識は

分離してしまった部分が、

常に欠乏していると自分に語り掛けてきます。

 

その欠乏感を、自分の外にある

モノや、人間関係で埋めようとしても

 

埋まるハズが無いのです。

 

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『人間道楽』 6-5. 170517

6-5. 自我の羅針盤

 

自我は、元々 分離意識を育みます。

これは、自然の摂理として捉えることが出来ます。

 

ですから自我により、

己を個として認識する事になりす。

 

「あなた」が居て「僕」が居る。

と言うことですね。

 

 

ここでは、

自我を、個としての意識。

として

 

自我の中の「エゴ」を、利己的な意識。

として区別して説明を進めていきます。

 

個である自我は、自由な意識です。

 

それ故に、自然の摂理から

離れた動きも

可能となるのです。

 

これは、物心がついてから以降の

人間だけが与えられた

特性と言えるでしょう。

 

そうです。

つまり人間だけが、自然の摂理

従わない行動がとれるのです。

 

 

では、自然の摂理とは

この場合

何を意味するのでしょうか?

 

自我は、帰巣本能の様な

行き先を常に指し示す

羅針盤(方位を示すコンパス)

を持っています。

 

自然の摂理とは、

その羅針盤の指し示す方向へ

向かっている事であり。

 

その羅針盤の針は自分の

潜在意識の方向を

常に指し示しています。

 

 

簡単に表現すると

人生とは羅針盤を一つ持って

大海原で航海している様な

ものと捉えることが出来るのですね。

 

 

エゴの状態は、

羅針盤が、見えていても

そこには行きたくないと

無視している状態

と考えてみて下さい。

 

羅針盤の方向に

向いている時と

エゴにより羅針盤に従わない

方向を向いている時には

 

見える景色が異なっているのです。

 

羅針盤の方向を向いている時だけ

「有難い」と言う景色が観えてきます。

 

 

それ以外の方向を向いている時には

「当たり前」の景色が見えるのです。

 

当たり前の景色とは

 

身近に有るモノは、全て当たり前なので

無いものに意識を向けて

しまいます。

 

つまり、常に欠乏感に

さいなまれる航海を強いられる

ことになるのです。

 

この欠乏感から、

他者との比較にフォーカスします。

 

それは、

上下関係であったり。

主従関係。

優劣。

善悪。

損得勘定。

格差。

争いや、戦争。

……などなどになります。

 

 

これらの根底には、恐怖と言う感情が横たわり

そこから、いろんな二次的な感情が

生まれてきます。

怒りや、不安、恨み、嫉妬、後悔……

 

といった感情が次々と生まれてきます。

 

まるで、パンドラの箱の蓋を開けたような

世界が拡がるのですね。。。。()

 

これが、悩みの根源です。

 

 

舳(ヘサキ)を羅針盤に従って

進路をとってみると。

 

そこで観える景色は、

今の自分が如何に、

恵まれているかと言う事を

思い出させてくれます。

 

ですが、舳を潜在意識の方向へ

向けるという事は、

自分の心のキズと向き合うことに

なります。

 

 

そうなのです、嫌な自分と

向き合うことが

羅針盤に従う事になるのです。

 

だから、多くの人はエゴの中に

留まり続けようと

してしまうのですね。

 

 

そんな人々の中から

半強制的に、

羅針盤に従わざるを得ない

状況を実現させる方が現れます。

 

それは、命と向き合った方々です。

 

自分の命の有効期限を

宣告されたり、

 

大切な方の命と

離れなければならない経験をした方などは、

 

自分の嫌いな部分など

些細な事と捉えることが

出来るようになります。

 

そんな方と、お話しをすると

言葉に感情どころか

命を載せて届けてくれます。

 

 

命と向き合った方の

言葉は、

命と向き合って受け取ってください。

 

そうすれば、

この世界に、何一つ当たり前のモノなど

無いという事が、腑に落ちてきます。

 

身近なことなら、

呼吸ができること。

目が見えること。

指先一つ動くことまで

感謝の氣持ちが

湧き上がってくるはずです。

 

 

そうすると、

今いる世界が、全て違ったものに

観えてきます。

 

まるで、モノトーンだった

世界が、一氣に色彩を帯びたような

感覚を掴むことが出来るようになるのです。

 

 

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『人間道楽』 6-4. 170513

6-4. 大切な自己受容

 

自己受容(じこじゅよう)という

言葉を聞いたことが

あるでしょうか?

 

自分を受容する。

 

ありのままの自分を

ジャッジを外して

受け容れること。

 

と読めます。

 

この自己受容が

凄く重要なのですね。

 

なぜなら、自己受容は

潜在意識と繋がる

鍵となるからです。

 

 

自分に100点満点で

点数を付けてみてください。

 

今のご自分は何点ですか?

 

 

よく、聞くのは

 

コノ資格を自分は持っていないから。とか

自分は、アレが出来ないから。とか

 

あんなモノを持っていないから。

とかの条件をつけたり

 

自分には、肩書きがないから。。。。

 

などで自分の点数を減点

する人が居ます。

 

これは、大きな勘違いなのです。。。

 

 

では、自己受容を

僕なりの解釈で

なるべく分かり易く

説明してみます。

 

自己受容も自然の摂理

則ると実に、シンプルなのです。

 

 

 

僕たちは、

自分自身が大好きな状態で

この世に生を受けます。

 

ですが、

人の脳はまだ未成熟のままです。。。。

 

この未成熟な人の脳には、

その時代に、その地域で

生きるために

基本のソフトである

OSオペレーティングシステム)が必要です。

 

そのOSは、

主に育ててくれる両親から

受け継ぎ、構築されていくのです。

 

 

親は、理屈で育てますが、

まだ、人の脳が成熟していない

赤ちゃんや、幼い子は

それを感情として受け取ります。

 

この事を通して、

鏡の法則に従って

自分というモノが

どういうモノかと言う事を

認識していくのです。

 

これが、人の脳にだけ構築される

「自我」です。

 

自我とは、分離意識です。

 

非常に巧妙で繊細に作られた

自我は、自分と他者とを

分けて考えることが出来る

優れた機能を持っています。

 

自我は、多様性を産みます。

自我は、時空を越えることが出来ます。

 

そして

それぞれの個性で、

この世界を彩ります。

 

いろんな花が有る様に

桜は、桜の花を咲かせ

梅は、梅の実を実らせる様に。

 

あなたは、あなたのままで良いのです。

 

人にだけ、与えられた自我は、

いろんな繊細な感情を

産み出していきます。

 

 

 

では、この自我が形成される

メカニズムを観てみましょう。

 

 

たとえば、

動き回れる様になった

幼子は、危険というモノを

知りません。

 

親は、我が子を危険から遠ざけようと

我が子に 言って聞かせます。

「道路に急に飛び出したらダメだよ」って

 

でも、まだ感情でしか受け取ることの出来ない

幼子には理解できません。

 

そして、

やむを得ず、感情を使ったり

身体に教える親も出てきてしまいます。

 

「あんなに、道路に飛び出したらダメって言ったのに!

飛び出して、危ないって言うことが分からないの!!

 

はい。。。危険が分からないから飛び出すんですね。。。。()

 

 

この様な事が、子の心にキズとなって

残っていってしまうのです。

 

あまりにも大きなキズは、

無かったことにして

潜在意識の奥深くに蓋を

して閉じ込めてしまいます。

 

 

そんな風にして出来た、

心のキズは、

いつしか自分の事が

大好きだったことを

忘れさせてしまうのです。

 

 

そして

自分を好きになる事を

義務感で実行しようとすると

 

先に書いたような

資格や肩書きなどの、条件付けが必要だ

といった、

勘違いが産まれてきてしまうのです。

 

つまりは、自分にはそのままでは

価値が無い。。。。

と言う思いに囚われるのです。

 

 

これが、自我から派生した「エゴ」の正体です。

 

 

潜在意識は、

常に潜在意識の方へ、

氣付いて 向き合うように

呼びかけて、働きかけてくれています。

 

 

ですが、その呼びかけは

まず、自分のキズを直視させる事に

なるのです。

 

 

キズとは、好きだった自分を

忘れさせた、自分自身の

イやな部分です。

 

キズを

自分自身の最も嫌いな所と

ジャッジしてしまっているのです。

 

 

多くの人が、エゴの方へと

流されて行ってしまうのは

 

潜在意識の方へ

向き合うと

嫌いな自分を直視しなければ

いけないという「思い込み」から

きています。

 

 

あなたに与えられた

素晴らしい人の脳で

考えてみてください。

 

 

自分自身を好きになるのに

資格や、条件付け。

ましてや肩書きが必要でしょうか?

 

いいえ、その前に元々が大好きだった

自分自身です。

好きになる必要もないのです。

 

ただ、

思い出してください。

自分自身が、大好きだった事を

 

そうです。

自己受容とは、

言い換えると、

自分自身を大好きだった

事を思い出すだけ

 

。。。ただ、それだけなのです。

 

 

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