『人間道楽』 7-6. 170903

7-6. 人の脳に攻撃性は必要ない

人は、ミスや失敗をする生き物です。

大切な事を、忘れてしまう事も有ります。
そんな事で、他人に迷惑をかけたり
することも起こってきます。

でも、それは人を攻撃してもいいという
理由にはなりません。

恐怖心に捉われていると、
それらの事が、心の中の攻撃性に
点火する火種になります。

どういうことかというと
他者のミスや、自分のミスがあった場合。
恐怖心がある場合は、
不安にかられます。

その不安を解消するために、
他者を攻撃したり、自分を攻撃するのです。

他者を攻撃する代表的な感情が
「怒り」です。
自分を攻撃する場合は、
「不安」という感情が大きくなって、
自己否定を続けます。

たちの悪いことに、人の脳は
その感情をラッチ(そのままの状態を維持
すること、扉などの留め金)する事が可能なのです。

つまり、四六時中「怒り」や「不安」
を持ち続けることが出来てしまうのです。

その感情は、自分の身体を蝕んだり、
周囲の人をも巻き込んで、不機嫌な環境を
作り続けてしまいます。

正確に言うと、進化の過程で
哺乳類の脳の場合は、
攻撃性は必要でした。

この世界では、
食物を食べて生命を維持する様に
デザインされているので、
肉食動物の場合は、
捕食する動物を攻撃する必要が有ります。

草食動物でも、
逃げ場が無くなった時や、
子や自分自身を護るために一時的に
「怒り」のエネルギーを使って
立ち向かう必要があります。

また、サルの群れの様に
上下関係が詳細に決まっていて、
群れを維持するために
自分より下のモノを攻撃する
必要もあるのです。

ですが、全てはあくまで
自然の摂理に則って
一時的に攻撃するだけで
その必要の無い時には
忘れされられています。

人の脳である理性の 
その素晴らしい機能は
本来は、恐怖心を保持するために
あるのではありません。

他人や自分への攻撃に
エネルギーを使うのは、
人として産まれてきたのに
あまりにも不毛な使い方だと
思っています。

もし、ご自分の中に
不安な氣もちを解消するために、
人(自分も含めた)を攻撃しなければ
ならないという思い込みが有るので
あれば手放してみてください。
人として産まれてきた意味を
考え直してみてください。

人の持つ理性の本来の姿は、

恐怖から解き放たれて、
創造的な翼を拡げた時に
はじめて発揮されるのです。

人として産まれてきた意味は、
凄く深い責任と、自覚が必要です。
そしてそれは、無限の可能性へと導いてくれます。
あなた自身は、その事に値する素晴らしい価値を
持っているのです。